Motoi Sakuraba 桜庭 統



PROFILE

各方面で活躍する作・編曲家。おそらくはゲーム音楽作曲家として最も有名。仕事の早さは超人的で、しかも仕事を選ばない。どんな作品でも曲調が一緒、一度作った曲を編曲して使い回す、作り溜めした曲を躊躇無く蔵出しする、等々一部批判の声もあるが、麻薬的にノリが良いため管理人を含めて偏った信者が多数存在する。

仕事の量は膨大でおそらくその点では最大級のゲーム作曲家ではあるが、作った曲には名前をつけていないらしく、また編曲魔らしく数バージョン存在する曲が相当数存在しており、一部は作品すらまたいでいるのでその全貌を掴むことは極めて困難である。公式サイトの作品経歴の欠落ぶり(※)をみると自分のやった仕事を全部覚えているのかさえ不安視される。なおゲーム作曲家として有名ではあるがゲームは一切やらないらしい。

元はDEJA-VUというプログレッシヴ・ロックのバンドを率いていたが、1989年頃何を血迷ったのかウルフチームに入社、同社にて多くの作品を手がける。1995年頃からフリー活動を活発化し、ゲーム以外にもマイナー系テレビドラマの音楽等も手がける様になる。

テイルズオブファンタジアとその系列作品の大ヒットによりメジャー化、今ではアニメや映画の方面にも進出しその手の方面での大作曲家の地位を築き上げる。1998年前後よりT's ENTERTAINMENT(現Team ENTERTAINMENT)に所属、現在に至る。


※ 公式サイトのWorkはおよそ不完全であり、挙げられてるタイトルから判断するに、マイクロマガジン社の『そうだ、ゲームミュージックを聴こう!』あたりからの孫引きにいくつか追加したものと思われる。


WORKS

現在までに判明している桜庭統作品一覧。未調査のものがまだまだ多いのです。事情通の方情報提供お願いします。

 【 暫定版リスト1989-1995 】

HISTORY

ここでは所属(作品制作)環境の観点から時代区分してますが、便宜的なもので音楽的観点からの区分ではありませんのでご注意下さい。そもそも桜庭先生ご本人にでも聞きませんとそんなものはわからない上、管理人は音楽的才能が完全完璧に欠如しているので……。なお後半はほとんど無理矢理区分してます。

0.揺籃期 ????-1985

桜庭氏がいつ頃から音楽を志すようになったかは不明。高校時代に山下達郎のコピーバンドをやっていたりしたことは判明しているが、これも詳細は不明。明治大学進学後のバンド活動にて出会ったメンバーとDEJA-VUを結成することになる。

1.DEJA-VU期 1985-1989

桜庭統最初の音楽活動ともいえるDEJA-VUの結成は1985年。メンバーは桜庭統氏、長妻撤哉氏、工藤元太氏。1988年9月に初のアルバム『Baroque in the Future』を出すが、11月に長妻氏が抜けて活動停止、その後井下憲氏が加わって活動再開するも1989年10月に解散。2枚目のアルバムの制作も決まっていたらしいが詳細不明。

とりあえずこの辺については当サイトよりもプログレ関係の他サイトあたった方が良いでしょう。

2.前期ウルフチーム期 1989-1990

桜庭氏がその後ゲームに深く関ることとなるウルフチームへの入社は1989年中期頃と推定される。なお当時の待遇は契約社員だったらしい。桜庭氏本人はバイトくらいのつもりだったのかも知れないが、少なくともスタッフロール等での扱いを見るかぎりでは専属作曲家といってよいような待遇ではあったようである。入社の動機はどうも単純にバンドで食って行けそうになかったかららしい。

なお桜庭氏初のゲーム作品である『斬 〜陽炎の時代〜』は1989年9月の発売であり、少なくともその数ヶ月前には入社していたものと思われるが、この時期は後期DEJA-VUの活動期と重なっており、DEJA-VU解散と何らかの関係があった可能性はある。

この時期のウルフチームのサウンドスタッフは桜庭氏の他に、チーフの宇野正明氏と塩生康範氏がいた。なお当時サウンドチームは【SERGENT WOLF BAND】を名乗っているが、これは当時のGMブームで各社のサウンドチームが皆何かしらの名前を名乗っていたからである。多くはCD会社の販促戦略であった様だが、ウルフチームはスタッフロールでもしっかりその名前を使っていた。(もっとも数作だけだったが……)

宇野氏は初期の数作で作曲した他はほぼ管理職に廻り、桜庭氏が作曲とMIDIで塩生氏がFM打ち込みと効果音という役割分担であったらしい。後期ほどその傾向が強いか? なお余談だがこの時期に桜庭氏は結婚しており、その為に作った曲を『アークスII』に転用している(笑。

1990年には桜庭氏はソロアルバム『戯曲音創』をリリースしており、ソロ活動等もしていた様だがウルフチームの仕事が忙しくなったのがその後あまり露出しなくなってくる。

3.中期ウルフチーム期 1990-1992

塩生氏が退社して【SERGENT WOLF BAND】崩壊(笑)。以後この名前は封印されてしまった。スタッフには新たに古屋亮太氏が加入している。この時期のウルフチーム作品は桜庭氏が一人で作曲を手がけている例が多いが、流石に人出不足からか作曲の外注作品も出てくる様になった。桜庭氏のお仕事は相変わらず作曲とmidiと思われる。

なお1991年1月にウルフチームは親会社の日本テレネットに吸収されており、以後ウルフチームはブランド名として存続することになる。桜庭氏の待遇が変化したかは不明。

4.後期ウルフチーム期 1992-1995

サウンドスタッフに田村信二氏と初芝弘也氏が加入。おそらくウルフチームの最盛期であった。特に超優秀サウンドプログラマの初芝氏の加入のおかげで音質が格段に向上、傑作と名高い『緋王伝』シリーズを経てウルフチームの集大成作『テイルズオブファンタジア』が生まれることとなる。しかし集大成過ぎてウルフチームそのものが崩壊してしまったのは歴史の皮肉である。

5.トロイカ期 1995-1998

トライエース結成に伴うスタッフ離散の影響か、この時期以後の桜庭氏のゲーム分野における活動はテレネット(ウルフチーム)、トライエース、キャメロットの3つのメーカーに別れることになる。テレネットでは田村氏と組んでの仕事となっているが他2社については完全に単独での仕事となっている。

この頃から売れ筋路線への露出が増えて名が売れたせいかドラマにも進出。名実ともに作曲家としての地位を固めつつあった。

6.ティームエンタテインメント期 1998-2003

所属会社ティーズエンタテインメント(T's ENTERTAINMENT)というものが登場して公式サイトが設置される。その後T'sは何故かティームエンタテインメント(Team ENTERTAINMENT)に改称している。理由は不明(老舗のT's musicと名称類似の為か?)。所属時期は不明だが1998年前後か?

ゲーム分野の仕事の体制にはほとんど変化がないが、一方で今や有名作曲家となった桜庭先生はアニメや映画にも進出、ついにはライブコンサートまで開いてバンド活動も再開。

7.Motion期 2003-

テレネットのテイルズ開発部がナムコの資本下でテイルズ専門会社に独立したり、モノリスソフトやキッズステーション他のソフトにも曲提供をしたりとさらに関連メーカーは拡大。2004年10月にはついに本当の公式サイト【Motion】が開設され、これまであまり露出のなかった桜庭氏の近況がファンに公開される。なおも桜庭先生の快進撃は続く……。


DISCOGRAPHY

桜庭統関連関連CD一覧。インディーズ系のものについては調査不足により載せてません。

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LINKS

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